体験記
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医学部再受験 2000.2
青山学院大学→東京医科大学
再受験に至るまでの経緯
 高校時代での成績は、全体的に良いといえるものでもなく普通であった。私は単に他の文系科目より数学が、多少得意であったためまた男は理系、女は文系という訳のわからない固定観念があったため、理系の方に進んだ。大学受験が迫ってきても危機感を感じず勉強しなかった。その結果として浪人が付いてきた。浪人時代の周囲の友達は、医学部志望の人が多かったような気がしたが、全く興味を示さなかった。無事、青山学院大学に入学し、何処にでもいる学生と同じように大学生活を送り、暇な時に人生とは、自分の進む道について論じたりしてはいたものの答えがでず、気づいたら4年生になっている始末だった。就職活動の時期となり、金融、広告代理店、ゲーム業界など、理系に限らず様々な業種をまわり、頑張った甲斐もあり何社か内定を頂いたが、その内定を蹴り、医学部へ入学しようとしたのは、簡潔に述べると会社訪問をして様々な業種を見ていくうちに人間社会を豊かに、より良いものにするために人が作り出したものを追求するのではなく、人間社会を形成している人に興味を持ち、医学部を志した。(知人の医者や医学部に行った友人のアドバイスもあった。)

勉強について
 受験を決意してから、予備校の模試を受けてみたが、4月の時点で英の偏差値は64〜65、数・化・物は30前半だった。英語は、自信があったものの、他がどうしようもなかった。前期はアルバイトをしながら後期の予備校のお金をため、空いた時間を勉学に充てた。従って、じっくりと勉強に時間が出来たのは約半年間だった。自らの受験の時と過程が変わっていることなど面倒な事もあったが、一冊の参考書を買ってきて、3、4回やる事によって記憶がもどり、どうにかなったが、時間と労力はかかった。文系の人の再受験は、厳しいと思う。しかし確固たる志を持ち頑張れば、成せば成ると思うので頑張って下さい。

メンタル面について
 医学部を受けると決めたらあやふやな気持ちにならないために、すべての事をクリアしておくべきだろう。例えば両親の賛成は必要であろう。その両親の支えが受験の糧になると思う。21世紀になると医療のあり方もかわり、医師にも優れた専門性・人間性を要求されてくるだろう。従って、学士制度や再受験の人々の門戸が開かれるだろう。
医学部再受験 2000.2
京都大学→浜松医科大学
 私は小さな頃から、自分の好きなことをして一生を過ごしていければそれで幸せと考えていた。そして、その好きなことを自分の職業にすることができればこれ以上のことはないと考えていた。京都大学農学部林学科というところを進学先に選んだのは一生好きなことにに打ち込める、理系研究者になりたかったからであり、オーストラリアでの田舎暮らしでの経験からフィールドワークをしたかったからだった。従って、入学時点で、すでに自分は大学院の修士課程はもちろん、博士課程に進むことも考えていた。

 しかし、京大に通いだして1〜2年たった頃から、私は自分の生き方について、本当に真剣に考えるようになった。「私の生きている意味とはなんなのだろうか」、そして「自分にとっての本当の幸せとはなんなのだろうか」と。つまり、「自分のやりたいことだけをやり、それを楽しみ、そのことに満足するだけで、他人との繋がりの中で自分の存在価値を見いださないような生き方に、自分という人間が生まれて意味があると言えるだろうか?そして、この世に、自分という人間が生まれてきた意昧を見出せないでいたなら、本当に幸せな入生を送っているといえるのだろうか?」ということを常に自問していた。
容易には非の打ち所のない「正解」が出せるような問題ではなかったが、ただ、1自分という人間が生を受けてこの世に存在するからには、絶対に自分の存存を無意味なものにしたくない。そのためには、自分でなけれてばできない何か、自分に合った何かがあるのではないだろうか。そして、人生の終わりを迎えた薄れいく意識の中で「私の人生は意昧のある尊いものであったし、幸不幸いろいろなことはあったにせよ、生まれて来ることが出来て幸せだった。」と、思えたらそれこそ本当に幸せではないだろうか」、と考えるようになった。

 では、どうしたらそのように思うことが出来るのだろうか。私が自分の人生や死について悩んで出した答えは、自分以外の誰かがその死の迫っている時に、私のことを一寸でも思い出して感謝の気持ちを感じてくれることである。誰かの人生やその死の迎え方に一寸でもプラスになるように生きることができれば、私の人生は無意味なものではなかったと思えるのではないだろうか。

 私は医師という職業を通してそのような生き方が出来るのではないかと考えた。中でも、現在不治の病と呼ばれている様々な病気や終末期医療にとても興味があり、そのような患者や職場と関わることで、人生の終着点である死が有終の美となるよう自分の生き方そのものを見つめていきたいと思っている。そのような考えから医学部の再受験を決心した。
医学部再受験 2000.10
国際基督教大学教養学部→藤田保健衛生学園大学医学部
  今回、一度四年制大学を卒業してから医学部を志した者の体験記のようなものが必要と聞き、僕のようなものの体験でも参考になれば、と思い書かせていただきました。これをお読みになる方々に医学を志した動機から語り起こす必要はないでしょう。皆さんは各々の経験、考えがきちんと合って医学を志されたでしょうし、何より皆さんに語るには、僕の動機はたいしたものでないからです。

 しかし、皆さんの中に僕と同じ立場の方がいらっしゃることも考え、少しだけ語ってみます。僕は教養学部の理学科という中途半端なところをでたのですが、最初こそ自然科学に興味の中心があったものの、在学中にその中心はどんどん社会科学に向かいました。もともと文系の頭に加え、教養学部という環境も手伝ったのでしょう。結局卒業が近づく頃には、自らをしっかりと定めることができず、就職活動と大学院受験の両立を迫られました。しかも大学院は専門で卒論を書いた数学とは関係のない文系です。両方中途半端な観は否めず、失敗することになったのです。

 さて、内面的に様々な葛藤と思考があったことは確かですが、僕は就職浪人、および大学院浪人でなく、医学部を目指すことにしたのです。というのも実は、僕の父親も姉も医師をしており、なんにせよ遅れをとった形の僕が進むのに、一番良い道に思えたのです。全く立派とはほど遠い動機ですが、僕にとって医師は、まず職業としてあり、その中でどう自己実現していくかは、それまでの経験が決めてくれるはずだと思っていたのです。従って、どういう医療をするか、医師はどんな人間であるかを熟慮して医学を目指したのではありません。が、どんな人間であるかは、医師以前の問題であるし、それなりの経験と思考はあったつもりです。さて、僕と同じような立場で医学を志す人に少しは安心材料になったでしょうか。
 いざ医学部を受けるとなると、心配になるのは自分の学カです。一体どれくらいのことを憶えていて、どれくらい忘れているのか。闇雲に勉強しても不安が増すばかりです。僕が取った方法はセンター試験の問題を解きなおすことでした。問題がそれほど難しいわけではないですが・時間を計って高得点を取れるかどうかは、実力の良い指標になりました。僕の場合国語と英語には何の問題もありませんでした。しかし理科の記憶はおぼろげになっている部分がかなりあり、数学も時間内にきっちりと終わらせることができなくなっていました。社会に至ってはほとんど憶えていませんでした。

 この事態にどう対応して勉強するかは、人それぞれでしょう。しかし大学である程度真剣に勉強したなら、ほとんどやる必要のない科目がいくつかでるはずです。忘れているような科目も、予備校などの公開単科の授業を少なくともとれば、割と効率よく記憶を取り戻すことができます。もし文系の方で、数学が心配な場合、僕としてはまずセンターの問題に集中してみるのがよいでしょう。それを通して数学概念を復習すれば、センターの点は比較的結果に出やすいので、不安を減ずる事ができます。とはいえ油断は禁物です。僕は国立の医大のみを考えていたのですが、周りの薦めでひとつだけ仕方なくという感じで受けた私立の医大にいます。実はセンターの国語で失敗したのですが、国語は僕にとってそれまで一度も悪い点を取ったことのない科目だったのです。幸い僕は経済的援助に恵まれ、私立で頑張ることができますが、私立の学費は尋常な額ではやはりないし、当初は迷いも生じました。皆さんは僕のようなことは多分ないのでしょうが、体験という意味で書いておきます。

 皆さんの中には学士入学を考えている人もいるのではないでしょうか。僕の知っているのは国立のそれについてですが、最後に普通の受験と学士編入試験の両立について話します。
 優秀であればあるほど、ただ医学部に入るだけなら、普通受験のほうが楽です。学士編入でも卒業に五年はかかります。一年の差は私立では経済的にも大きいでしょう。国立でもいろいろな意味で差があることは確かですが、学士編入はよほど自信のある人のものだと思います。取る数が非常に少なく、優秀でも落ちる可能性があります。また、千葉、大阪大は研究医を欲しがっているため、その試験は文系の人には多少きつくなるはずです(教養の範囲の数学と理科ですが受験数学のほうが簡単です)。また面接を重視し、臨床医を欲しがっている、群馬大などもありますが、結果が出るまで夏から秋までかかり、普通の受験と平行させていると気が散ってしまいます。その上、判定基準がよくわかりません。こうしたことからも、学士編入を目指すならそれなりの判断が必要でしょう。

 さて長々と雑文を連ねてきましたが、皆さんに参考になる体験記になったかははなはだ疑わしいところです。しかし本当に役に立つまじめで、崇高な動機に裏打ちされた体験は他の方にお任せします。この僕のようなものの体験でも、どなたかの頭休めに、また少しは医学部受験の不安を和らげるのに役に立てば幸いです。
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医学部再受験 2000.10
東京大学→横浜市立大学医学部
 私が医学部再受験を考えたのは、以前の大学の4年生のときでした。その年の夏に親に内緒で大手予傭校の模擬試験を受けて、その結果が家に郵送されてきたのを親に見つかるまで、再受験のことは親には話さないでいました。この時点で、すでに所得単位の関係でその年に大学を卒業できないことはわかっていました。ですから医学部に合格したら大学は中退ということになります。医学部に行くこと自体は親は反対ではありませんでしたが、ここまできて大学中退となれば、親はあまりもろ手を挙げて賛成とはいきませんでした。

 医学部受験を考えた理由いくつかあります。が、強烈な動機付けがあったわけではありません。特につきたい仕事もないまま、なんとなく卒業して就職する気にはなれなかったというのも理由です。その他人間に関する自分の興味とか、もう少し時間がほしいとか、肉親の死とか、そういうものがいくつか合わさって出来た流れが、医学部再受験でした。

 このあたりも親を説得する理由としては今一つ弱かったと思います。今一つ歯切れの悪い決断でした。一応、東洋医学とかに興味があり、「現代医学とうまく融合させたいな」という考えや、「患者の不安をきちんと受け止められる医師になりたいな」、などという漠然とした思いはありました。が、はっきりした自分の将来像をまだ掴めているわけではありませんでした。
 結局その年の受験は失敗しました。大学も留年することになりました。それなら大学はちゃんと卒業しようということになり、その後2年かけて大学を卒業してから、さらに1年の浪人時代を経て、横浜市大に合格することが出来ました。

 その間、親は医学部受験に失敗したときのことも考えて、公務員試験を受けるよう私に勧めました。ですが結局失敗。最後の1年はまさに後がない状態でした。振り返ると、本当に必死になって勉強できたのはこの1年だけだったような気がします。今までいかに甘い気持ちでやってきたのかを再認識したのもこの浪人時代でした。とにかくほかに行く当てもなく、自分の道を切り開くにはこれしかない、という気持ちでやりました。親ももうただ合格してくれという気持ちでいっぱいだったようです。

 その浪人時代は、前半はアルバイトをしながら勉強、9月からは自宅で受験に専念という生活を送りました。1日の勉強量ですが、私の場合は机にストップウォッチをおいて、正味机に向かって勉強した時間を量るようにして、1日8時間を目標に勉強しました。長丁場なのでなるべく夜更かしはせず、12時には寝て朝型の生活を送るようにしました。よく1日十何時間勉強とかいう話を聞きますが、私の場合はそんな生活を一月でも続ける体カも根性もないので、こういう風になりました。それでも油断していると、1日8時間の時間を取れなくなります、受験生の方は、一度本当はどのくらい勉強できているのか、この方法で試してみることをお勧めします。意外と時間が取れていないものですよ。

 といってもこれは自宅浪人の場合です。が、正直言って、自宅浪人は精神的に追い詰められている人にはお勧めできません。人と喋ることの大切さをこのときほど痛切に感じたことはありません。自宅にこもって勉強していると、悩みも自分だけで抱える事が多くなります。予備校にでも行って、一緒に勉強する友人を作っておくんだったなあ…、と後悔をしたときにはすでに遅しでした。それも今では、こういう孤独も経験しておいて良かったとも考えます。が、もう自宅浪人はやりたくないというのが正直な感想です。

 最後に、こんな私が言うのもなんですが、やはり自分の動機を確認しておくことが一番だと思います。なりたい自分のビジョンを鮮明に掴んでいる人ほど強いです。それがあれば受験勉強を切り抜けることぐらい簡単にできます。世の中に受験ほど努力の結果がストレートに反映されるものなど少ないのですから。といっても今の豊かな時代、将来の選択肢も幅が出ており、その分、自分のやりたいことを見つけ出すのは難しくなっていると思います。そのときに、興味があるのなら私みたいに再入学してその探索を続けるのも一つの方法だと思います。大学生は一番自由な身分です。社会人に比べ、学割定期は使えるわ、休みは多いわ、そして何よりさまざまなジャンルの行動に手の届く、恐ろしいほど自由な場所です(最近使いこなしてない自分を反省してもいます)。再受験を決意した方は、ぜひ合格して、この身分を最大限に利用して将来に生かしてほしいと思います。
医学部再受験 2000.10
北海道大学薬学部→岩手医科大学
再受験に至るまでの経緯
 高校時代は、受験指導など、ほとんどない進学校に入学してしまったため、何となく、3年間が過ぎてしまったように思う。高3の受験期になっても、その学部に進学するべきか考えがまとまらず、とりあえず旭川医科大学を受験したが不合格だった。一年間、予備校に通い、必死に勉強し、成績も上昇した。医学にも多少興味はあったが、センターの成績に合わせ北大を受験することにした。北大時代は、部活、バイト、、、とあっという間に過ぎてしまったように思う。薬学部は私の苦手な教科も多く、とても大変だった。大学4年になると、講座に配属されるのだが、今はやりのフレックスタイム制で夜も昼もなく、帰りが夜の4時になったこともあり非常に忙しかった。将来は、研究者になるのも良いかと考えていたのだが、たった一人で毎日試験管に向かう生活が自分にとってあまり楽しいものではなく、また自分が行った研究がそのように臨床に反映されるかということが目に見えず、次第に嫌になっていった。4年生の秋に北大病院で一ヶ月の間、薬剤師の実習が行われた。医師の仕事を身近にみることができ、医師とは非常に大変だがやりがいのある仕事であるように思われた。

周囲の環境・生活
 医学部を受験しようと決意したものの、両親が、なかなか納得してくれなかった。私の父も再受験で医学部をめざし、現在医師であるにもかかわらず、父が最も反対した。仮に医学部に合格したとしても、6年間という永い学生生活があるわけであり、また、高年齢で医師になる場合、特に女性はなにかと不利になることも多いからである。しかし、なんとか理解してもらうことができた。

勉強法
 できれば学士入学で入りたかったので、いろいろ調べた結果、群馬大学を受験したのだが、私が受験した平成11年度から、数学は新課程のみとなり、旧課程しか学んでいない私は大変だった。運良く、予備校に無料で通えることになったので予備校の授業を中心に勉強した。国語や地理は思い出すのが大変だった、英語は大学で論文を読んでいたためか、ほとんど苦労はしなかったが、化学や生物の成績が安定するのに数ヶ月の時間を要した。
 模試は結果に一喜一憂せず、自分の到達度を確認する程度に利用しればいいと思う。私は一喜一憂していたが、、、。

これから再受験を考えている人へ…
 最近、不況の影響もあってか医学部の再受験がブームとなっているようです。再受験ということで、多少プレッシャーを感じることもあると思いますが、以外となんとかなるものです。あまり深く考えず、ひたすら頑張れば、成功すると思います。夢をすてずに頑張って下さい。
医学部再受験 2000.11
東京大学薬学部→横浜市立大学医学部
1. 再受験への経緯
 実は高校生の頃から医者という職業は候補の一つに入っていた。ただいまひとつやりたい事が絞り切れず、当時持っていた「医学部に行ったら医者にしかなれない」という思想も相まって東京大学の理科T類に入学する事になった。一年半の猶予期間の中いろいろと情報を集め、また自分を見つめなおした結果、「将来何をやるにしても医学の知識や医者としてのスキルは役に立つ」と思うようになり、医学部に入りなおす事を決めた。当然その時点で大学を辞めすぐに再受験をするという道もあったのだが、せっかく東大に入っておいて「教養で進振り競争やってました」というのは寂しすぎるし何も残らないのできちんと卒業する事にした。進学先には医学に少しでも関係ある事を、という事で薬学を選択した。薬学部での二年半はやや中途半端になってしまった感があるが、無駄だったとは決して思わない。大学というものが多少見えてきたし、特に研究者という職業がどういうものなのかを現場で感じとる事が出来たのは大きな収穫だった。

2. 再受験への準備
 はっきり言って浪人するつもりは全くなかった。これ以上の回り道はしたくなかったからだ。(学士入学がベストだったのだが、当時国公立では大阪大のみでしかもドイツ語が必要と聞いてさっくり諦めた。)ただ浪人をしないためには卒業と受験を同時にクリアしなければならず、研究室に問題集を持ち込んで実験の待ち時間にやる、というように時間のやりくりにはかなり苦労した。まあアルバイトでしていた家庭教師のおかげで受験勉強を完全に忘れたという事はなかったため、本格的な受験準備は夏明けの9月からで十分だった。やった事は9から12月の前半までが全科目の総復習(物理・化学:標準問題精講(旺文社)。英語:チャート式の「英文法」(長文に関しては研究室で英語の論文を読むので特にやらなかった)。数学:チャート式の「数学T.U.A.B」と「数学V.C」。)12月の後半からセンター試験まではセンター試験対策(英語・数学・理科:予備校が出版してるセンター対策の問題集。国語:センター対策の問題集および古文・漢文の文法書。社会(倫理):センター対策の問題集および高校の教科書。)センター試験から2次までは過去問および今までやってきた問題集の復習をしていた。
(余談)自分は研究室に入る時に担当教官や先輩方に再受験する旨を伝えておいたので比較的時間に余裕を持たせてもらえたが、他の学部で自分と同じように医学部を再受験した友人はずっとその事を隠していたため受験の前日にも実験をするはめに陥っていた。(それでも合格したのだからたいしたもんだが…)。

3. 再受験を終えて
  (新たな大学生活を始めて)
 誰しも「あの時をもう一度やり直せたら」とか「このままの状態で過去に戻れたら」とか思う事があると思うが、二度目の大学生活はまさにその実現である(「モラトリアムの延長だ」と批判を受けるかもしれないが…)。自分も前回の反省を活かしつつ勉強や趣味にまずまずうまく時間を費やせていると思う。この体験は非常に有意義で実にいいものなので再受験者はこれを励みにして頑張ってもらいたい。
医学部再受験 2000.11
東京大学工学部→横浜市立大学医学部
 私は数学や理科が好きだったことから、前の大学には「物理を研究して大きな発見をしてやろう」と意気込んで入ったものの、よくあるようにその大志(?)は失せ、充実した学生時代を過ごし、電子工学科の大学院に進みました。苦労した卒論も終え、おぼろげながら「この世界で生きていく」自信もついてきました。しかしそれと同時に、「私はこれからの一生の人生を本当にここに捧げて満足なのか?」との疑問が膨れ上がってきました。思えば、これが自分の将来について、イメージでいうと、「50歳の俺は何をしていたら悔いがないのか」について、初めて面と向き合った時だったのです。友人から聞く、人そのものに関わる医師という醍醐味のある(責任も重いですが)職業、そして病が自分の親戚にずっと重い足かせを強いていたことを徐々に知るにつれ、僕は迷うことなく、「医師として働く50歳の私」への答えにたどりついたのでした。

 この結論に至ったとき、僕は修士の1年を終えようとしていました。親を説得しようと帰郷したものの案の定、親戚じゅう大反対。あと1年やって修士号を取ってからにしろ、今から医学部なんて受かるのか、といった具合。尤もな反応です。院の仕事をやりながら週末には帰って説得、といったことを繰り返し、最後には「もしこれで人生が狂ったとしたら、どんな仕事でもやっていく覚悟だ。」との言葉に渋々折れてくれました。

 再受験するには、教養の2年間を取り戻せる学士入学もありましたが、僕は大学を退学し丸1年を受験勉強に費やし一般入試を受けることにしました。これには理由が二つあります。まずひとつには、学士入学はその当時でも増えだしてはいたものの、阪大のように大学2年までの科目を一通り要求されるか、はたまた二日間の討論だけで決まる、という自分では客観的に計り難い力で判断されることへの不安があったからです。また時期的にも秋などにあり、失敗した際の2次試験の影響は痛いものがあると考えたからです。もう一つには、生物を選択していなかったので大学で始めからやろうと思ったからでした。

 どちらで再受験するか迷っている方もおられると思いますが僕は断然、一般入試をお薦めします。一回はこなした受験、やり直せばカンは戻ってくるし、二兎を得ようとするよりは一般入試に照準を絞った方が結果がついてくると思うからです。
 こうして院を退学し、夏までの前半は週3回の個人指導のバイトをしながら、下宿で勉強してました。余談ですが、この方法はなかなかよかったと今でも思っています。なぜなら、教えながら自分も復習できるし、気分転換にもなる。そして何にもまして、わずかの稼ぎでも「食わせてもらってる」という負い目を軽減できるからです(笑)。

 始めの半年間は基礎的な数学、忘れきっている化学、英語などをこつこつとカンを取り戻すようにこなしてゆきました。あせりがちになる時は「急がば回れ」と心に言い聞かせて。この時期の基礎学力に的を絞った勉強があったからこそ、いまこうして医学部に居れるのだと今でも思います。
 しかし。僕は元来、人と賑やかにしている性分だったので、最近2週間で生徒以外に発した言葉が「アイスコーヒー」の一言という、この一人ぼっちの勉強に耐えれなくなってきました。そこで後期から予備校に入りました。同じ目標を持つ人達の中に自分をおいたことで、精神的にも楽になり、一介の受験生として勉強に没頭することができるようになりました。今の時期では本科には入れないと思いますが、宅浪していて、気分が滅入ってきてるかな、と思う人は、週何回か、講習をいれてみるのも一手だと思います。彼も受験生、私も受験生、同じ模試の結果を見て、一喜一憂もいいではありませんか。受験期の後半はこうして若い受験生と共に過ごしました。

 さて、受験そのものの話に移りましょう。細かい勉強方法は再受験生ならそれぞれのやり方があろうかと思うので、ここでは触れないことにします。まず、受ける大学については、友達でも予備校の参考資料でも使って、「再受験生がひとりでもいるか」を調べて考えるとよいと思います。過去に例がない大学は、やっぱり難しいでしょうが、周りの様子を見ていると、大学は純粋に成績を見て取っているように思われます。細かいところで迷う暇があるなら、勉強する方が得策でしょう。

 あと気になるのは面接だと思います。面接は常識はずれな考えを持っているとか、討論で人の意見を聞かない、といったことがなければ大丈夫だと思います。ただし、再受験生だけが尋ねられる質問に対する自分なりの答えは大事だと思います。つまり私の場合では、「人に医療器具といった側面からたずさわってもいいんじゃないの?」「君がやってきたコンピュータと違い、人の心は難しいよぉ」などです。今の自分でなく、なぜ回り道までして医学部なのか、突っ込まれると弱いなと感じる部分があるなら、その答えを考えておくことが、面接に対する重要な備えであることはいうまでもありません。あとは、自信を持って答えるだけです。

 今から振り返って思うのは、1年生から入ってよかったということ。クラスメートとくだらない時間や酒を共にして、今、この時点で学士入学してきた人では持ち得ない、友人や体験を持っているからです。しかし同時に、入学当初のあの「さあ、これからやってやるぞ!」という気概が薄れてきている自分に気づかされております。
 この文を読んで頂いて、「おっ、それはいいな。」というところがあったら、こんなにいいことはありません。
 一回しかない、誰のものでもない自分自身の人生に向かって皆さん、頑張ってください。
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